おわかれ

新年明けて5日目

日に日に感染数が気になりますね

でも、自分にはそれよりもなにより気になった年越しに

今までにない気持ちで

その知らせは2021年

初来店の方が帰られた直後に

一本の電話で

 

本日お別れ

最後まで立ち会うことを理解していただいた

ご親族の方々ありがとうございました

 

全国に指導へ行き

山村クラフト指導

木地師としての

84年の生涯でした

 

今の自分の基礎を作っていただき

心より感謝します

 

師匠最後の執筆本↑

 

そんな師匠との出会いは

19歳の頃

高校卒業後就職するも

毎日機械の前で材料をセットしてボタンを押す

一つの機械で決められた時間で加工を終えた部品を次の機械にセット

そしてまたボタンを押す

数台の機械で加工して部品ができる

待ち時間、時計ばかり見ては

まだ10分...

今思えばたった8時間が長く退屈すぎて

なんの実感もない毎日

1年経たず退社

実家にもどる

 

その当時よく言われていたニート状態

アルバイトはしつつも

フラフラしていたところに

飯田出身でこんなことしてるおじさんがいるからと

紹介していただき尋ねることに

 

当時の湯布院は今以上に(15年以上前)

ここが大分なのか?と

思うほどの人混み

こんな近くにこんな場所がと

まさしく井の中の蛙

道に迷いながら

あのショールームに到着

店内をぐるっと見て回り

木でこんな世界があるんだなと

スタッフの方に事情を話し

初対面

飯田出身とは聞いていたものの

明らかに雰囲気が違う

でもその当時ですでに60台後半

失礼ながらおじいちゃんだなと思い

 

当時はもっと生意気だった自分に

話始めてから初対面でそんなにーってほど

けちょんけちょんに 笑

当時は、無職だとニートとかフリーターとかで呼ばれ

世間が騒いでいた時代

 

今でも鮮明に記憶している会話で

「あんたみたいなね~

若い人らに世間はニートとか名前をつけて

つけられた若いほうも

自分にあるかないかのような才能を

わかってくれない社会が悪いような考えで

悲しいことにあなたたちは平成が作り出した○○○なんよって」

っとバッサリ 衝撃 

 

 

1時間ぐらい工房の中で話を聞き

モノづくりで食べていくことの厳しさなどなど

でも、そのとき何かよく言う

スイッチが入るようなかんじで

終始押されっぱなしで

こりゃ~と思いつつも

最後にこんなことが好きなんかと一言

ウチも今人(弟子)が多くてなと

そう言われながらも

「明日から来いと」

えっー⁉

 

はい!

木の世界へ

 

そこから修業時代へ

2年足らずでしたが

5年分ぐらい

また機会が?興味が?ありましたら

修業時代編でも 

 

こんな時代になって

どこまで求められるモノを作れるかはわかりませんが

精一杯作り続けていきたいと思います!

よろしくお願いします!